語弊を恐れずに言えば、「世界遺産」という言葉に「妙な違和感」を覚える町。
なんというか、「世界遺産」と括ってしまうにはあまりにももったいない。
郡言堂「暮らす宿 他郷阿部家」のある島根県大田市大森町(石見銀山)は、
はじめてそこを訪れた私に、そんな印象を与える町でした。
こんにちは!ご近所部員の田代です。
「ブログを書こう!でもまとまらないな・・・」なんてのを続けていたら、
気がつくと9月のご近所研修ツアーから2ヶ月の月日が流れておりました。あちゃー・・。
ですが!言い訳ではありませんが、石見銀山で過ごした時間は、
私にとって「価値観のターニングポイント」になったことは間違いのないことで、
これから歩む人生のどの時点で振り返っても、学べることの多いとっても濃い記憶となりました。
なんで?
というのを書くのがブログだと思いますので、今回はここではその理由を書きます。
どうぞお付き合いください〜
——- 郡言堂「暮らす宿 他郷阿部家」って?
郡言堂「暮らす宿 他郷阿部家」は、島根県大田市大森町にひっそりと佇む宿。
宿は、この人口400人ほどの町に本拠地を置き衣食住の提案をするライフスタイルブランド
「群言堂(株式会社石見銀山生活文化研究所)」が営んでいます。
門をくぐると、そこに広がるのは整えられすぎず、ほどよく手入れされた心地の良い庭。
その庭を縫うように小道を辿ると、現れるのは築220年の武家屋敷。
どうやら宿の竈婆・松場さん達が、この宿を10年かけてゆっくり修復したそうです。
今の時代改修工事に10年なんて・・・!と思いますが、
ゆっくり時間をかけ、家の記憶に耳を傾けるように新しく息を吹き込まれた宿は、
「日本の文化、根のある暮しを体現する宿」という新たな役割を、
とても気に入っているように見えます。
そんな家なので、宿泊するのは単に「泊る」というよりか、「普段の暮しの中に入っていく」ような、
「いらっしゃいませ」を待つのではなく、「お邪魔します」と言いたくなるような感覚です。
お客を招き入れる時だけ活気づく宿ではなく、そこには確かな「暮し」があります。
宿についてからご近所メンバーは宿の中をひたすらうろうろ、うろうろ、、、、。
武家屋敷にあったものをそのまま活かした家のつくり、蔵bar、お風呂、手挽きの梁、
洗面台、台所、壁にかけられる掃除道具、家にある全てのものから暮しの息づかいが聞こえてきます。
写真 和室に設えられた生け花は、庭に咲く野花。長生きできるよう木炭で支えられた姿が素敵。
一通りうろうろを終え、待ちに待った・・・・・夕食!
大きな木のテーブルを囲んで待っていると、お仕事から帰ってきたのは宿の竈婆・松場登美さん。
そう、ここは松場さんが普段暮らす家。
「いらっしゃいませ、お待たせしてしまいすみません」と、
笑顔で席に着くと食卓を囲む空気が活気づきます。
※私は松場さんの本などを何冊か読んでいたので、緊張で心臓がバクバクしておりました。
松場さんが阿部家を通して発信したい思想、文化、
この数十年で受け継がれてきた暮しの知恵が、急速に失われていくことに対しての危機感、
いろんなことをお話する中で一つ、特に興味を惹かれる言葉がありました。
それは、「人口500人というはマジックナンバーだそうよ」、という言葉。
どうやら松場さんのご友人である、フランス人(どこの国か曖昧なのですが・・・)に聞いたそうです。
なぜここで突然「500人」や「マジックナンバー」という言葉が出て来たかというと、
郡言堂が根ざす石見銀山の町はおよそ470人が暮らす町(2015年時点)。
人々の暮しが見え、ご近所付き合いを通して誰が何を生業としている人なのかを把握でき、
なにが得意で、なにが不得意かが分かる。町の資源を自然と自分ごとに捉え、
それぞれの暮しを各々ができることで豊かにし合える。
もしかしたら、500人って今の暮らしからしたらとても小さな人数に思えるけれど、
一つのコミュニティーとして大きすぎず少なすぎず、ほどよい人口なのかもしれません。
——- 丹波市は・・・?
翻って丹波市を考えてみると、2015年現在総人口は6.7万人。
500人で割ると、134ほどのコミュニティーができます。
どうやら、ちょうどご近所がある丹波市春日町中山の大路地区は、400人くらいの人口だそうです。
実はこの小さな地区の単位でも、歴史や文化、自然や日々の暮しの中から生まれた地場産業の名残がたくさんあります。地場産業で言えば、例えば春日町の竹細工、農家さんが多い地域だからこそできる農閑期の冬仕事、養蚕農家の技術、藁草履づくりの技術、棕櫚の木で作る棕櫚箒、下駄などなど。
一つの地区でもこれだけ多くの暮しの知恵があり、
なによりまだ辛うじて情報がまだ「残っている」というのは本当に恵まれていることです。
そんな、食も物も地産地消できる地域がたくさん生まれたら、
さらに人や自然との循環が心地よい、密度の高いまちになるのではなるのでは〜などと考えを巡らしている、今日この頃です。
——- 終りに・・・
松場さんは、石見銀山では「地域おこし」とか「地域づくり」という言葉を、
ここに暮らしている人はまったく使わないと言います。
なぜなら、ここに暮らす人はこの町で何かをあえて「おこす」必要なんてなく、
自分と自分の周辺の暮しを豊かにするのに一日一日を使っている。
けして受動的でなく能動的に、自然と。
ここには松場さんを初め、470通りの「暮し」が当たり前のようにあって、
それがいつしか、暮しを取り巻く社会や世界に静かで大きな影響を与えています。
阿部家を経つ朝、ご近所メンバーで町を散歩していた時、
向こうから歩いてくる小学生に珍しい虫が葉についていることを教えたくて、
家の前でまだかまだかと待っている女性がいるまちの朝は、
決して「守るべきまち」という表情ではなく、
「つくり続けられ、変化して行くまち」でした。
「世界遺産とは」を調べると、「人類共通の財産として保護し、
後世に伝えていくべきもの」と記してあります。
はじめに書いた、この町が「世界遺産」であることに対しての「妙な違和感」は、
「保護される対象」という言葉によって、常に変化している町の息づかいを排除しているような、
そんな感覚を受けたからだろうな…と思ったのでした。